「プロム」といえば、高校最後に行われる一世一度のダンスパーティー!!
プロムを知らない方はこちらから
「ゴシップガール」や「ハイスクールミュージカル」のドラマでもお馴染みのあのシーンを想像される方も多いのではないでしょうか。
私たちは、これまで、プロムの裏側やプロムへの準備についての記事を書いてきましたが、今回は「プロムというイベントの歴史」について深掘りしたいと思います。
歴史を知ることで、プロムがもともと、どのように開催されていたのか、なぜプロムという文化が始まり、今につながったのか、プロムはなぜ「大人へ近づく儀式」とされたのかを知ることで、その本質を理解していただけたらと思います。
これからプロムに参加する人も、成人式に参加する人も、そうでない人も、アメリカにおける「大人になること」について、理解が深まるのではと思います。
プロムの歴史
プロムは高校生のイベントではなかった!?〜プロムの始まり〜
プロムといえば、高校最後のダンスパーティーを思い浮かべるでしょう。しかし、実はプロムの原型は大学を卒業する最終学年のために開催された宴(直訳:Banquet)であり、当時の男子学校・女子学校の共同イベントでした。卒業生が社会に出る前に、適切なエチケットを身につけさせることを目的としていました。
ですが、その後数10年を経て、大学生でなくとももう少し若い段階でプロムを経験することは、「大人としてのマナーを早い段階で学べるので悪い考えではないかもしれない」と、教員や学生の間で考えられるようになりました。
そして、プロムは大学のイベントから徐々に10代のイベントへと変化し始め、最終的に高校で行われるようになりました。
実際、初期の高校プロムは非常にカジュアルで簡素なものでした。皆がお茶やお菓子をつまみながら、勝負着で高校の体育館に集まるだけのものでした。ですが、1930年代ころには、地域的な取り組みからアメリカ中の高校で広まり、夜のダンスイベントへと変化していったと言われています。開催直前には男子が女子をディナーに誘い、本番ではライブバンドが演奏して踊りを楽しむという現代的なプロムが花開いた時期と言えるでしょう。
派手さを追求するプロム 〜戦後の開花〜
戦後の活況を表すアメリカ経済により、プロムに対してより多くのコストを掛けるようになったと言われています。
元来、学校の体育館で行われるものから、カントリークラブ、宴会場、ホテルに移りました。より華美に、派手に、贅沢になっていったそうです。
LAのビバリーヒルトンホテルでPROMを開催したいという要請に応えるために募金活動を行ったケネディ大統領。実際に行われたPROMに参加し、祝辞を述べたそうです。
PROMのあり方が問われる現代 〜多様性を重視する社会へ〜
プロムもあり方も時代によって変化していきます。 人種や性の自由がより社会的に認められるようになると、もともとあったプロムの形は時代について行けず、様々な問題を生んでいくことになりました。
- 1994年後半、アラバマ州のある高校の校長は、異人種間のカップルの参加を許可せず、さもなければプロム自体を中止にすると脅迫しました。この事件は社会的論争を引き起こし、高校への放火事件焼までエスカレートしました。
- 2010年、ミシシッピ州の教育委員会は、レズビアンの女子学生がパートナーのガールフレンドと一緒に出席する予定でしたが、それを阻止するためにプロム自体を中止することを決定した事件がありました。
このように、基本的人権に性や人種が組み込まれるようになった今、多様性への配慮が声高に叫ばれています。この問題は今でも続いているものもあります。今後はどのようにその問題を解決し、これから大人になって行く学生に対して、お祝いの場をもうけてあげられるかが注目されるポイントだと思います。
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